今振り返る甲子園ボウル

「誇りある勝利」の旗印のもと完封勝利
日本大学主将、FS 井ノ口 忠男

「誇りある勝利」この旗印のもと、第34回甲子園ボウルに我々日本大学フェニックスは出場した。
120%の練習とチームワークで築かれる「最強のチー ム」としてである。
選手個々が 何をすべきかを知っていた。 いや知り尽くしていた。

昭和54年、この年の日大は、攻撃面では「ショットガン」が完成の域に達し、新兵器「ドラゴンフライ」も使える様になって、第3期黄金期の中軸を作る。
アメリカンフットボールは、得点に絡む派手な攻撃面がどうしても取り上げられるが、
篠竹監督は「100%の攻撃ができるのは、120%の守備のお陰である」と語ってくれ、
この言葉が我々守備陣の誇りであった。 この年の東京7大学リーグ戦は、ランニングプレーに対してはマイナス16ヤードさせるという驚異的なものであった。
甲子園ボウルも48-0で快勝。20年ぶりの甲子園ボウル完封試合の記録にもなった。

これらの勝利は、監督の言葉を誇りとし、その誇りを守るため、全員一丸となって戦った結果だと思う。
「誇りある勝利」のために、この年の練習量は例年の倍を越えていた。監督の要求も高くなり、
東大戦では100点差の勝利を我々に求めた。それに応えるべく、守備陣は失点ゼロの完封を目指した。
攻撃陣も必死にがんばったが、この日は無情にも前日からの雨で、駒沢グラウンドの状態は最悪で、
100点には少し足らない94点で終わった。試合後、監督の怒号が飛ぶ。
結局この年の関東選手権決勝では、法政大学に82-0の圧勝。100点差の 勝利までとはいかなかったが、前年の80-0の記録を破った。

甲子園ボウルもしかり。関西学院大学ファイターズの攻撃を20年ぶり の完封に抑えた。
5-2ローバー守備体型のディフェンスの指令塔としての自負はあるが、監督が試合前に語った80得点、QB 鈴木の10TDという目標は、関学守備陣に48得点で抑えられた。
48得点は自信を持っていい勝利 だが、これは、関学守備陣の健闘を讃えるべきであろう。
監督の「守備こそが攻撃の第一歩」ともいうべき言葉を実感した甲子園であり、卒業後の自分の人生の、座右の銘にもさせていただいている言葉でもある。

この原稿を書くにあたり、スポーツマンとして、また日大フェニックスの一員だった誇りを改めて認識し、その誇りを汚さない様に、今後の人生を歩みたいと思う。
終わりに、偉大なる篠竹監督と、過去戦った各校の選手達、
そして我がフェニックスのチームメイトに大いなる感謝したい。特に甲子園ボウル出場に対して一番感謝したい。

井ノ口 忠男

第34回甲子園ボウル記事

第34回甲子園ボウル記事

第34回毎日甲子園ボウル(毎日新聞社、日本アメリカンフットボール協会主催)の
日大一関学は1979(昭和54)年12月9日午後1時5分から3万人の観衆を集めた甲子園球場で行われ、日大が関学を48-0で破り2年連続13回目の優勝を飾った。

日大は第1クオーター2分29秒、わずか5プレーでWR大用が先制TDパスを決めて早々と主導権を握り、得意のショットガンに加えて、厚いディフェンスが早いつぶしで関学を圧倒、得点を許さなかった。
優勝した日大・井ノ口忠男主将に上田健一・毎日新聞大阪本社編集局長から毎日杯が贈られ、
年間最優秀選手に贈られるミルズ杯は、日大のQB鈴木隆之選手(3年)が受賞した。
なお両校の毎日 甲子園ボウルでの対戦成績は日大の12勝6敗1分けになり、関学が甲子園で零敗したのは20年振り3回目である。

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